――全ステージが終了した。結果が全てだ、わかってる。わかっているけど、その結果を見た時、俺らの視界は暗に染まった。
俺たちRock×ON!!!は、「期待の新生アイドルLasting*Laugh*Life!!」という三人組に負け、優勝を逃した。
* *
――全ステージが終了した。結果が全てだ、わかってる。わかっているけど、その結果を見た時、俺らの視界は暗に染まった。
俺たちRock×ON!!!は、「期待の新生アイドルLasting*Laugh*Life!!」という三人組に負け、優勝を逃した。
* *
大会が終わり楽屋に戻る。メンバーの間に漂う空気は重い。息が詰まるような重苦しい空気。なんて言ったらいいか分からず、俺は俯くしか出来なかった。
「……お疲れ様。頑張ったよ皆! うん、頑張ったよ」
繰実がみんなを元気づけようとする。重苦しい空気に耐えられなくなったのだろう。
俺らの中でも、メディアの考察でも、ファンの間でも、俺らRock×ON!!!の優勝は確定していたようなものだ。俺たちは本当に優勝を逃したのだ。決して傲慢に日々を過ごしていたわけではないはずなのだが、負けてしまったものはしょうがない。次頑張ればいいのだから。
繰実の明るい声に、俺は笑顔を忘れていることに気が付く。琥珀と凪咲の悔しそうな表情に何も言えなかった自分を反省し、繰実を見習って明るい声を出す。
「全力でやったもんな。皆精一杯やったよ、な?」
自分の笑顔が若干引きつっているのが分かる。まあこのピリピリした状況で笑顔でいる方が勇気がいる。でも胸がキュッと鳴るくらい暗い雰囲気のメンバーを少しでも緩和させようと、俺が作れる精一杯の笑顔を作った。俺の微かな気遣いを見て、凪咲が口を開く。
「まさか負けるなんてね。あのラララとかいう子たちに負けるほど、アタシ達落ちぶれていたかな」
落ち込んでいるというより不思議に感じるという雰囲気だった。「ちょっと悔しいわね」と微笑む凪咲の顔は無理しているわけではなくむしろ好戦的に見えた。でもそれは表向きの表情だ。心の奥底ではすごく悔しがっていることが、俺にはすぐ解ってしまった。
「なんか終わったらナンパしようとか思ってたけどそういう気無くなったわ」
わざとらしくそう言い座ろうとした琥珀は、「煙草行こうぜ」と座るのを辞めたらしい。それを聞いた凪咲は荷物から煙草を取り出す。
俺は机に置きっぱなしになっていた煙草を取った。入口で待っている琥珀とまだ煙草を探している凪咲を待つ。
短い欠伸を一度したところで、凪咲が「行こ」と遅れてやってきた。
操実はRock×ON!!!とは別の仕事で電話しているようだ。最近そういうのが多い。北園事務所の次期社長さんは忙しいらしい。
「お疲れ様ですー! 北園ですー」
操実は手のひらをヒラヒラとこちらに向けた。“いってらっしゃい”の意らしい。凪咲がそれに反応したので俺と琥珀は特に反応せずそのまま喫煙所に向かった。
* * *
「あんたってさ、悔しいとか思わなそうだよね」
負けたわりにあんまり悔しそうじゃない凪咲から横目で見られる。お前もな、と言いたいとこだ。というか、今更そんな質問しないでくれよ。全く何年の付き合いだよ。
「まあ……、次勝てばいいかなって思って」
俺の言葉を聞いて琥珀はヘラヘラと笑った。アイドルスイッチの切れた琥珀の歩き方はホストや小洒落たヤンキーを彷彿とさせる。
「皐月そういうとこあるよねー、勝ちにこだわらないってかさ。今回ちょっと仕事が立て込んで今までよりレッスン量が減ったのはそうなんだけど、でもやっぱ勝てると思ってたから心に来るものはあるよね」
心に来るものがある割には平気そうだな。「結局俺が一番可愛かったけどね」
「やかましいわ」
凪咲は琥珀の決め顔にツッコむ。皆もっと落ち込むと思ってたが意外とそうでもないようだ。なんか気遣って損した。変に考えるより、いつも通りにしていた方がRock×ON!!!らしくいられる。
広い廊下の突き当たりにある喫煙室の扉を開けると、いの一番に琥珀が箱を取り出した。
「あー、やっと吸えるわー」
琥珀は煙草に火を付けると音を立てながら椅子に腰かけた。
「最近本数増えたんだよね」
「それもう一生減ることもうないよ?」
「わかるー。タール数上げようかな……」
三人で灰皿を囲む。水の入っていない灰皿に火種を押し付けると、白い煙を残して赤い火は黒く染まっていった。
「タール数上げても減らないって。身体には気遣えよ?」
俺がそう言って立ち上がる。三人同じタイミングで消したものの、琥珀と凪咲はもう一本吸いたいらしくライターを右手に持っていた。
「皐月、飲みもん買ってきてよ」
「パシンなよ」
「私水ねー」
「俺コーヒーで!」
自由な二人を尻目に喫煙所の重い扉を開けた。その瞬間に感じたことのない風を感じた。爽やかで甘い炭酸飲料みたいな風だった。風上には女の子が居る。
「すいません、あの……」
凝視しなくてもわかるその輝きに、思わず声をかけてしまった。彼女もこの自動販売機で飲み物を買いたいようだ。えっと、この人は確か……。
「Lasting*Laugh*Life!!の蒼空綺月さんですよね。……あ、えっと」
そこまで言って言葉に詰まってしまった。別に負けたから話しかけたわけじゃないんだけど、そう思われたらなんかやだ。なんで話しかけたのか、なんて質問も今はしないでほしい。女の人に声をかけるなんて初めてだから気の利いたことなんて何一つ思い浮かばなくて、硬直してしまった。
二秒ほどの沈黙が地味に辛い。表情が知りたくて彼女の顔を見てみると、すごくすごく嫌そうな顔をしている。うう、仕方がない。俺は今世紀最大の勇気を出した。
「あの……、俺と、MATE交換してくれませんか?」
思ったことをストレートに言うのはさすがに失礼かな、なんてもう言葉を発してからじゃ遅い。過ぎたことを悔やんでも仕方ないのに、なんとか怪しいと思われないように笑って見せた。
「ん、ははっ」
んん、我ながら気持ち悪い笑い方になってしまった……。これじゃ握手会の後、確実に悪口を言われているキモオタじゃん……。
MATE交換してくれ、と言った手前、もう後には引けない。スマホを取り出そうとポケットに手を伸ばした。左ポケットには煙草を入れたから、右ポケットにスマホが入っているはずだ。
「嫌」
あまりにも短い返事だったので思わず「え?」と聞き返すと、聞こえてないと思ったのかご丁寧にハッキリと教えてくれた。
「嫌。なんでボクが貴方とMATE交換しなきゃいけないの」
バッサリ切られた俺は、思わず男の自己防衛が働いた。「飲み行く?(笑)」という、(笑)を付けて誘う、一番気持ち悪いの誘い方をする男の気持ちがよく分かった。
「あー。いや、ま、まあ、そうですよねーっ!」
頭を掻いて誤魔化した。天性のナンパ師“東里琥珀”なら断られようとぐいぐい行けるのだろうが、俺にはそんな勇気はない。
蒼空さんは静かに続けた。
「西門さん……、だっけ? 敗者と仲良くする気はないの」
なるほど、俺はちゃんと振られたらしい。
「は、敗者……」
そんなハッキリ言わなくても……。目の前にいる女の子の“なんで交換しなきゃいけないの”という言葉。それに即座答えられるほど頭が回っていないっぽい。
「もういいですか」
先程買ったのであろう、冷えた飲み物を片手に立ち去ろうとしている。
「待って……」
思わず呼び止めた。今までの俺なら絶対にすることのない反応だ。ナンパも、去ろうとする女の人を呼び止めることも、したことがない。でも何故か、この人は逃しちゃダメだと思ってしまう自分がいる。何故だろう。
止まってくれた銀髪の少女から白い目を向けられる。可愛い。でも八割は殺意で出来てるんじゃないかと思えるような目だ。
「あ、いやー。どうしても交換するのダメかな」
ちょっと食い下がってみる。なんたってスマホはもう手に取っているのだ。緑のアイコンも起動しているのだ。これは後には引けないじゃないか。うん、天下のナンパ師ならここで食い下がらないはず……! お手本にする人を間違えてるという文句は受け付けないぞ……!
「……無理」
蒼空さんは出来るだけ短い言葉を選んでそう言った。あー、めっちゃ嫌われてる……。俺の心は完全に折れた。今まで感じたことのない彼女から感じた風はきっと特別で、これからの人生やバンド生活に生かせると思ったんだけどな。……なーんてちょっと思ってみる。
この場と蒼空さんから離れるしかないのか、と「そっか、ごめんね」と言い立ち去ろうとしたが、甲高い声が聞こえた。
「綺月ー? 大丈夫?」
現れたのはLasting*Laugh*Life!!――省略はラララだ――のリーダー、天真紅莉。
「遅いから心配したよ」
「ごめん、紅莉。この人に捕まってて」
そう言われた天真さんは俺を上から下までゆっくり見た。
「わっ! Rock×ON!!!の西門皐月さん!」
「あ、西門です」
さっきもステージ上で顔を合わせたのに、またここで自己紹介している。
「なんで皐月さんと綺月が一緒にいるの?」
ごもっともな疑問だ。蒼空さんが俺を軽蔑の目で見ながら質問に答えた。
「なんかこの人にMATE交換してほしいとか言われたの」
あまりに嫌そうな顔をしながら状況説明するので、誤解が生まれたら困る。俺は慌てて弁解した。
「あ、別に変な意味じゃないんですよ。気になっちゃって少し声掛けただけです」
「ふーん。そうなんだ」
天真さんはワンテンポ置いてそう言い、少し笑った。何かを楽しんでいるようだ。
「綺月、皐月さんとMATE交換するの嫌なの?」
「嫌。ボクは敵と仲良くする気はない」
「じゃあご飯とかも嫌?」
天真さんが食事というナイスアシストをしすぎて俺の方が戸惑った。
「えっ、マジっすか」
蒼空さんすらも戸惑っている。
「何言ってるの紅莉」
「ほら私たちは今回初めて勝てたけど、次回も勝つためには敵のことも知っておかないと! でしょ?」
「そう、だけど……」
後がない俺はこの案に乗っかるしかない……!
「そう、ですよ。お互いの親交のためにも、ね?」
「そうそう。綺月、たまにはいいじゃん」
二人に押されて揺らいでいる蒼空さんが目をぱちくりさせた。うーん、可愛い。
「ねーえー? 皐月?」
思わぬ邪魔が入った。
「遅いと思ったらなにしてんの、皐月」
喫煙所から出てきた凪咲と琥珀は、俺と二人の女の人を交互に見た。
「えー? リーダーが女の人と話してるーっ。めっずらしい。ウケるんだけど」
俺だって別に人間と会話することくらい出来るんだけど……。
天真さんは「琥珀さん! 凪咲さん!」と嬉しそうだ。「どうもー」と言う凪咲とは対照的に、琥珀は口角を上げただけだ。
「飲み物買うだけなのに遅かったからなんかあったのかと思ったけどまさかな……」
琥珀は二人の美少女の全身を一瞥している。
「遅いんだわ、バカ」
凪咲は俺を小突いた。俺の「いてっ」を無視し、琥珀は楽しそうに言う。
「あの皐月が女の子と話してるなんて。初めて見たかも」
「はあ? アタシだって女の子なんですけどー? 失礼な!」
凪咲の反論が廊下に反響する。
「お前は別じゃん」
「まあ、リーダーがうちら以外の女の子と話してるとこ見ないけど」
「だろー?」
まあ俺が女子と話すなんてそうそうないけどさあ。
「レアな強キャラを見つけたときくらいの勢いで引いてるじゃん。話す必要がないから話さないだけだって」
俺がそう言うと琥珀はいたずらな笑みを浮かべて腕を組んだ。
「へー、周りに女がいなくてよく生きられるよなー」
琥珀がそう言うと凪咲が「アンタは別もん」とツッコんだ。凪咲のツッコミを気にも止めず、琥珀は丸い目をラララの二人に向けた。
「ところで、うちのリーダーと何で話してたの?」
その質問に答えたのは天真さんだ。
「今ね、うちの綺月が西門さんに声掛けられて……」
「え! え? ええ!」
「リーダー……?」
いやだからそれには訳があって……、ってもう聞いてないじゃん。
「まじで! あの万年童貞のうちのリーダーが? ナンパしたってこと? まじで!?」
「アンタこないだの取材でナンパとか絶対しないって言ってたじゃん!」
口に手を当てて驚いて見せる二人へのツッコミは俺が担うしかない。
「だーかーら! 俺のこと万年童貞とか言うな!」
俺らの会話のテンポについていけない蒼空さんを少し見た。
「……ほら。一応……、女の子がここにいるんだぞ」
ラララの二人に視線を向けるように仕向けると、琥珀と凪咲は猫じゃらしを目で追う猫のような顔になった。
蒼空さんには少し嫌そうな顔をされた。無言になったタイミングを狙ったのか、天真さんは口を開く。
「あのー、ご飯どうする? 琥珀さんと凪咲さんも来れる?」
天真さんに訊かれた凪咲と琥珀は、突然の質問にアイドルスマイルで乗り切っていた。
「ん? ああ、このあとここの三人で打ち上げの予定だったから仕事はないし、俺らは行けるよ」
「そうね。繰実は来るかどうか分からないけどね」
答えた二人は本日何度目かわからない顔をした。
そして五秒ほどの沈黙が喫煙所前の廊下に流れた。
「いや、そんな不思議そうな顔しなくたっていいだろ。天真さんには笑顔で答えたのに、時間差で俺にはそんな顔しないでくれよ」
凪咲は頭の上に疑問符を浮かべ、そのまま俺にその感情をぶつけた。
「え? 待って。リーダー、ラララとご飯の約束までしたの?」
「天真さんの案だけどな」
「え、ええ? リーダー……、いつそんな、女たらしになったの……」
凪咲はそのまま「急にどうしたの……?」と続けると、俺と天真さんをゆっくり見た。そして、言葉を失ったように黙りこくってしまった。
代わりに琥珀が指でラララを指差して口を開いた。
「へー、この子達とご飯行けるんだ」
舐めるように見る琥珀を止めようとすると、蒼空さんが心底嫌そうな顔をした。
「……指、差さないでくれる?」
そう言った蒼空さんの不機嫌そうな態度が、“超”不機嫌な態度へとランクアップしてしまった。さすがに焦る。思わずすぐ謝った。
「あ、ああ、うちの琥珀が悪いことした。ごめん」
ツンツンされると気になってしまうのはどうしてだろう。女の子に怒られても気にしない天性のナンパ師のナンパ癖は、負けたアイドルにも通用するらしい。ずかずかとかなり近いところまで近寄っている。
「おっと、ごめんねー。怖い顔しないで? ……あ、君たち可愛いねえ。負けたのは悔しいけど、こーんな可愛いなら納得しちゃうよ」
琥珀の顔が獲物を狩るライオンのようになった。怪しい雰囲気をいち早く察知した凪咲は、琥珀を追いかけるように制止した。
「これ、琥珀。そんな顔しながら女の子見るのはやめなさい。……ごめんねえ、皆」
俺は、気持ち悪がっている女の子二人から琥珀を物理的に離した。腕を引かれた琥珀は少し不満そうだ。
「おいおいー……、ちょっとした冗談じゃん? 顔怖いよ二人ともー」
凪咲はくねくね動く琥珀をラララから隠すように仁王立ちになった。
「あー、わかった。アタシこいつの監督係として行くわ。王者に手出したらアタシたちの立場が危うくなる」
「そうだよな。琥珀はマジでこの子たちに手出しそうだもんな……。俺らで見張ってないとどうなるかわからん」
俺と凪咲で同時に危険物扱いをしたので、さすがの琥珀もツッコみたくなったようだ。
「おい! 俺はまるで要注意人物かよ!」
「うん、そう言ってんの」
「気を付けてよホントに。週刊誌にボロクソに書かれたことあるでしょ」
「俺だってちょっとはわきまえてるよ」なんて訴える琥珀を無視して、俺は天真さんに向き合って返事をした。
「……てことで俺らは大丈夫だよ」
三人じゃなくて、蒼空さんと二人きりでもよかったんだけど。……ああ、ダメだ。二人きりなんて。ただでさえ嫌われているのに、ただでさえ俺は女の人と話し慣れていないのに。何も話せなそうだ……。今回はこの三人に救われたかもしれない。
「ん、わかった。有澄には私から誘っておくよ!」
有澄とはラララのメンバー、桜城有澄さんのことか。トントン拍子に話が進み、天真さんが「場所とかどうする?」と言ったのと同時に話し声が聞こえた。
「どこまで行っちゃったのかしらね」
「お嬢様、あまり動かれると今度はすれ違いになっちゃいますよ」
「でも遅いから不安じゃない」
「あ、あれは紅莉さんと綺月さんと……?」
声の主たちは二人してこちらを向いた。その声に反応するように天真さんは振り返った。
「あ! ちょうどいいところに! 有澄、この人たちとご飯行かない?」
「姉さん…!」
廊下で響いた声は桜城さんにもきちんと届いたようだ。
「紅莉、綺月。二人とも遅いと思ったらこんなところで道草食べていたのね。……唐突な誘いだけど、どういうことかしら?」
うん、何も説明なく誘ったら誰だって戸惑うだろう。桜城さんの疑問に答えたのは蒼空さんだった。
「なんか紅莉がこの人たちとご飯行きたいんだって。ボクも誘われたんだけど、姉さんは行く?」
「そうね……。響、行ってもいいかしら?」
響と呼ばれたメイドは桜城さんに笑顔を浮かべた。
「どうぞ、いってらっしゃいませ。明日も仕事が入っておりますので、少し早めに帰宅された方がいいかと。ご連絡頂ければお迎えに上がります」
「わかったわ。……綺月、一緒に行きましょう」
THE・お嬢様の雰囲気が、桜城さんの周りを包む。蒼空さんは「姉さんが行くなら……」と行く気になってくれたようだ。蒼空さんと話せるチャンスが出来ればもはやなんでもいい。
桜城さんは俺らに身体を向け、軽いお辞儀をした。
「Rock×ON!!!の皆さんですよね。ごきげんよう、Lasting*Laugh*Life!!桜城有澄です。私も同行させていただいても宜しいでしょうか」
「……あ、西門です。元よりそのつもりだったし、ぜひ」
すごく丁寧に挨拶されたのでこちらも改まってしまう。俺がコミュ障なりに頑張って発言したのを見て、Rock×ON!!!挨拶担当の凪咲が俺のコミュ障をさりげなくカバーした。
「そんな固くならないで。これからご飯行くわけだし、仲良くなりましょ」
気を使った声だ。普段の凪咲ならこんな友好的なこと言わない。しかし、相手はほぼ初対面の新・王者だ。さすがに気も使うだろう。
一方琥珀は桜城さんの全身を見渡し、アイドルスマイルを作っている。
「有澄ちゃんだよね。初めまして、東里琥珀でーす。俺とも仲良くしてね?」
「お前の“仲良く”は卑猥に聞こえるんだよな」
俺の小さなツッコミは桜城さんに聞こえなかったのか、桜城さんは少し嫌そうな顔をしながら「何か…?」と行った。
「んーん、何でもないよっ。仲良くしてねっ!」
琥珀がハートマークを飛ばしながら言う。女たらしは全ての女子が標的なんだろうか……。頭を掻きながら「場所、こっちで決めちゃっても大丈夫?」と、ラララの三人に確認を取る。実は今日三人で行こうと思っていた打ち上げの場所は決まっていて、さっき予約も取った。
「凪咲、今日行こうって言ってたあそこのご飯屋さんでいい?」
「ん、良いと思う」
「じゃあ、そこで。……住所言えばわかるかな?」
凪咲の了承が得られたので、とりあえず天真さんとはMATEを交換し、現地集合となりその場は別れた。
「予約の人数変更すること電話しておいて」
そう言う琥珀はもぎちゃんをこき使いがちなのだ。MATEを使ってマネージャーにそう送り付けたらしく、満足そうにしていた。「自分でやればいいのに」と凪咲に言われていたが気にしていなさそうだ。
「操実別の仕事で来れないってさー」
琥珀がそう言うと俺と凪咲は「そうなんだー」と適当に相槌を打った。
* *
「リーダー? リーダーってば」
凪咲が怒ってる。
「ん? ああ、ごめん」
反射的に謝ると、はあ、と溜息をつかれた。
「聞いてなかったでしょ」
俺の返事がないせいで不機嫌なのか、腕を組んで怖い顔をしている。
「え、あ、いやあ……、ごめん」
なんて言ってたか思い出せなくて頭を掻いた。どうやら俺はボーッとしてしまっていたらしい。
「だから! この後収録前に楽屋挨拶するよって言ったの」
ああ、そう言われてみればそう言われた気がする。
「皐月、ラララと飯行ってからずっとそんなんだよな」
琥珀がソシャゲのガチャを回しながらそう言った。一日一回の無料ガチャなのかあんまり気合が入ってなさそうだ。自称無課金勢とかいうやつらしく、普段のガチャは俺らメンバーに頼むくせに失敗すると怒る。じゃあ頼むなよって話だな。
「いや、別にそんなことないよ」
その様子を眺めながら答えると、凪咲が大きな声を出した。
「そんなことあるの! 皆とご飯食べてる時もずっとそんな感じだしさ」
そんな大きな声を出さなくてもいいのに、興奮すると声量が大きくなるのは凪咲の癖だ。まあ、確かにラララとご飯行った時、それなりに喋れて楽しかった。蒼空さん、喋りかけてくれたし。へへ、可愛かったな……。
「うわっ、皐月顔キッモ!」
……え? 唐突な顔イジリ? ま、まあ琥珀も俺に対して容赦ないしな……。
「え? 酷くない? その言い方」
俺の台詞を聞かなかったかのように、琥珀はあからさまに眉に皴を寄せて口を開いた。
「お前さ、そろそろ認めろよ。……綺月ちゃんのこと」
琥珀はそこで少し言葉を区切った。
「好きなんだろ?」
……は?
「え? べ、別にそんなんじゃないよ。そんな、す、……好きとか考えたことないし」
俺が蒼空さんを好き? ……まあ可愛いし、メンバーに見せる笑顔は素敵だ。でも好きとかそういうの、よくわからない。琥珀が急に笑うので俺は意識を自分の心から琥珀の顔へと動かした。
「わかりやすいな、ほんと。図星だろ?」
急に好きとか図星とか言われて動揺してしまった。それを隠すように席を立つと椅子が音を立てて動いた。
「そ、そんなことないって。……ほら、挨拶回るんだろ」
そう言うと、ずっと黙っていた凪咲が「その前に煙草」と言い立ち上がった。それを合図に俺ら三人は楽屋を出た。
* * *
「はーい、一旦休憩入りまーす」
スタッフの声を合図に、出演者たちの気が緩む。
「ふう、特番となるとなかなか疲れるね」
隣に座る凪咲が水を口に含んだ。二時間の特番とはいえ、収録時間が二時間というわけじゃない。二時間半から三時間程カメラを回し、良い所だけ抜粋して放映する。
「それなー」
琥珀の短い返事よりも、このあと登場する予定のアイドルに気が散ってしまう。
「皐月さん、今日はいつも以上にお疲れな感じですか?」
寄ってきたもぎちゃんが俺の顔を覗き込む。なんでそんな事を言うのか分からなくて、首を傾げた。
「ん? いや、そんなことないよ?」
俺の笑顔を不審そうに見ているのは凪咲も同様だった。心配そうな顔をしている。
「そんなことある。何なの?」
若干キレ気味に言われたので、何かミスでもしただろうかと不安になってしまう。
「俺、何かした?」
「なんもしてない」
俺の質問に琥珀が答えた。
「なんもしてないなら、なんでそんな心配すんの」
もっともな疑問をぶつけると凪咲が俺の顔を指差した。
「なんもしてないから問題なの。アンタ一応バラエティー常連でしょ? ゴールデンの特番でその反応はないよ」
「今日のツッコミ下手すぎ。テンポも悪いし」
え、琥珀も言う? ……マジ?
「マジ」
心の声が漏れていたらしく、凪咲と琥珀が二人して頷く。琥珀も含めてダメ出しをされたということは、今日の俺そんなに絶不調なのか……?
「本番再開しまーす」
ADの声がフロアに響く。もぎちゃんが小さく「では」と言い、照明が煌々と光る舞台から降りていった。
「ったく、この後はちゃんと仕事してくれよ?」
琥珀が小声で言う。本番までのカウントダウンがバラエティ特有の緊張感を醸し出す。……本当なら「今までだってちゃんとしてただろ」とか、なんとか言い返してやりたかったけど、「お、おう」と弱々しい言葉しか返せなかった。ADの合図で司会は喋りだしてしまったからだ。
雛壇に座らされたゲスト全員が映る。急いでアイドルフェイスを作ると、手を叩いてタイトルコールを盛り上げた。
「今回のロケはラララの皆さんに行っていただきました。ラララの皆、どやった?」
大阪弁の混ざった司会者が雛壇の下段に座るラララに話しかける。天真さんが代表して台本通りに進める。
「今回は有名な避暑地に遊びに行きました。楽しいロケでした!」
ほぼ台本通りのセリフに、ほぼ台本通りの盛り上げ用のSE。滞りなく進む番組に、微かな刺激を足すことで有名な司会者だ。台本にないことをアドリブで言ったり、所謂愛のあるイジりとかを入れてくるのだ。それでも流れを崩すことなく笑いを取っていくため、週に何度もテレビで拝見する。
「なるほどなあ。えー、綺月ちゃんは十五歳なんやって?」
司会者がカンペを見ながら蒼空さんに近づく。喋っている司会者と話を振られたゲストが同じ画角に入るようにするのはテレビの定石だ。
「……はい、そうですけど」
「はえー、ええなー。若いとちやほやされるやろお?」
司会者が微笑を浮かべる。その笑顔には純粋な笑顔というより、汚い大人の男が見えた感じがした。
「いえ、そんなことは……」
蒼空さんは俯き加減に謙遜した。実際は謙遜というより、その視線から逃げたかったのかもしれない。蒼空さんを怖がらせていることに気が付かず、司会者は話題をどんどん掘り下げていく。
「俺もちやほやされたいわあ。まだ中学生やんな?」
見えなーい、とか、大人っぽーい、とか、ガヤたちの声が混ざる。いつワイプで抜かれても良いように、「そうなんだあ」と小声で言ってみた。
「こんなべっぴんさんじゃあ、学校でモテモテなんやない? 彼氏とか初キスとかもう済ましちゃってんか?」
そこまで言って司会者はカメラを意識したようにわざとらしく仰け反って見せた。
「あ、アイドルだから恋愛禁止やんな! じゃあ、卒業したら俺を一番の彼氏にしてなー?」
スタジオは笑いに包まれた。完全に司会者の空気感だ。蒼空さんは微笑むしかできないのか、困り顔を顔に貼り付けたまま苦笑いを続けている。
「あのさ」
オチまで完璧な笑いの流れを完全に遮ったのは、俺だ。こういうとき、俺は絶対バラエティらしい雰囲気を崩してまで発言はしない。それを知ってる凪咲が「皐月……?」と少し驚いていた。琥珀は「うちの皐月がようやく面白いこと思いついたんだな」くらいにしか思っていないだろう。
スタジオ全体の視線が俺へ向く。
「嫉妬だかなんだか知らないけどさ。そういう女の子を困らせる笑い、つまんないっすよ。ただのセクハラっすね」
一触即発のこの発言。絶妙な空気感は、なんとも形容しがたい。きっと沈黙で包まれると判っていても、言わないと気が済まなかった。
「ありゃあ、皐月ちゃんは毒舌やなあ。ははは」
一番に沈黙を破ったのは司会者だ。さすが国民的司会者だ。数秒の沈黙さえも許さないほど頭の回転が速い。しかし、司会者は俺の「セクハラだ」という発言を気にしていないのか、それとも俺のせいで悪くなった場の空気を立て直そうとしたのか、ただ笑って誤魔化した。横で凪咲が胸を撫で下ろしているのが分かった。この司会者に嫌われると、下手したら干される危険もある。そういう面で心配したようだ。
「あはは、そうですか?」
俺は笑ってみせた。俺にだって、この司会者の影響力くらい判る。本当は「蒼空さんに謝れ」くらい言ってやりたかったけど。
「いやあ、いいよいいよ。そういう子は俺好きやから」
俺は蒼空さんを困らせて、セクハラ同然のようなことをする司会者は好きじゃない。
業界内の噂に過ぎないが、この人は若いアイドルたちに、俺の番組にゲストとして呼ぶから、と適当な理由で託けて夜の欲を満たしてるって話だ。ただの噂に過ぎないし、被害者が自分から言い出したわけじゃないけど、そういう噂が立っている以上、やはり警戒してしまう。火のないところには、煙は出ない。最も、炎ほどの眩しさがあれば、すぐに明るみに出ると思うが。
* * *
収録が終わって楽屋に戻った。次の仕事から合流予定の繰実がそこに居て、俺らは軽い挨拶を交わした。
「お疲れー」
繰実はパソコンに向かって作業しているようだ。俺らが来たことでパソコンを閉じ、顔を上げた。
楽屋に戻ってすぐ口を開いたのは琥珀だった。いつものいたずらな笑みを浮かべ、中央にあるソファのど真ん中に座った。
「お前綺月ちゃんのこと好きすぎ」
琥珀はスマホを手に取ると、そのまま続けた。
「確かに、あの司会者たまにセクハラレベルのことするよな。気持ちはわかるけど、さすがにあーんな対応しちゃ俺らにはバレバレよ?」
いたずらな笑顔を浮かべる琥珀は、俺の肩を突く。
「司会者の暴挙ぶりにちょっと嫌気が差しただけだ。俺だけじゃなくて他の出演者もそう思っていたと思うよ」
琥珀が収録中の話をするのは珍しい。「まあなー」という軽い相槌が耳に入った。
「今回レベルが酷かったからちょっと気になっただけで、別に蒼空さんを贔屓しようとかそういうんじゃないから」
そう、別に蒼空さんを贔屓しようとかじゃない。……他のアイドルや出演者でもそういう対応としていただろうか。蒼空さんだからやったのかな。
「わーってる、わーってる。もー、必死すぎ」
絶対分かってない。だってもうスマホゲームやってるもん。楽屋のソファで乱暴に足を組む琥珀を横目で眺めていると、その話を聞いていた繰実が会話に入ってきた。
「え? なになにー? リーダー、ラララの綺月ちゃんのこと好きなのっ!?」
「いやだから、違うって。……違うよ」
否定しようとする自分に少しの違和感と罪悪感を覚えた。繰実はお構いなしに続ける。
「え? そうなの? 今までこーくんの恋バナは聞いたことあるけどリーダーも凪ちゃんもないから、興味ないのかと思っちゃったー」
「そういう恋愛事って俺にはないしな」
「え、リーダーもしかしてモテないの?」
繰実はわざとらしくにやけている。そのイジリに応えるように続けたのは琥珀だった。
「そんなことないんだけどなー。こいつ童貞だから女の子を前にすると照れちゃうんだよー」
「ど、童貞呼ばわりするな!」
必死な反論は流された。
「私たちとは普通に話せるのにー?」
「ほんとなー。特に好きな人の前だとわっかりやすいんだよー。な、皐月クン?」
「だから違うって」
俺が否定する姿を見て楽しそうなのは琥珀だけだ。「ねね、凪ちゃんはそういうのないの?」と繰実が話を振ると、今まで黙りこくって何も言わなかった凪咲が机をバンッと叩いた。
「あの子のこと好きなんでしょ。正直になったら?」
あまりに大きな音と声量だったのでゲーム中の琥珀が凪咲を見た。
「ど、どした。そんなムキにならなくたっていいだろ……。ニコチン不足か? 煙草行くか……?」
琥珀は驚きを隠せないように笑った。凪咲がそんなに必死になって発言するなんて、……え、俺、蒼空さんのこと好き、なのかな。
「別にアタシムキになってないわよ。……ってか、そんな気になるならデートにでも誘ってみたら?」
デート、かあ。それも勇気いるなあ。蒼空さんに若干嫌われている身としてはデートに誘うなんて、恐れ知らずにも程がある。
「……誘ってみようかな」
俺は小さく呟いた。自信がなくて小声になってしまった。横画面のゲームが終わったのか、縦画面でスマホを操作する琥珀が画面から目を離さず言う。
「いいじゃん、皐月。そのまま綺月ちゃんのこと落としちゃえ」
「応援してるよ! リーダー」
琥珀と繰実が適当なガッツポーズをした。
なんか適当な感じではあるけどとりあえず応援されてるみたいだし、と、俺はLasting*Laugh*Life!!の蒼空綺月さんをデートに誘ってみることにした。
動画版はこちら!→https://youtu.be/GBmI4_gAll8