誰かのトクベツになるってこと #2

 残暑で昼前でも暑い。爽やかな風は若干の温度を含み、汗が滲む。アイドルの祭典アイどる☆ふぇすティバルが終わり、日常が戻って早一ヶ月ほど経った。ボクがいるLasting*Laugh*Life!!が今年のどる☆ふぇす優勝だ。メンバーは元気印の天真紅莉、ボクの実の姉さん桜城有澄、そしてどる☆ふぇす最年少優勝のボク蒼空綺月。

「もうすぐ着きますよー。皆さんそろそろ起きてください」

「ん、んん……」

 エアコンの聞いた車内でボクは爆睡していたようだ。目を覚ますと左に姉さんがいて、右に紅莉がいた。運転は姉さんの専属メイド梅崎響さんで、助手席は同じくメイドの壱心琉架さん。二人とも今日は変装してるので、私服スタイルだ。

 ふと窓の外に目をやると避暑地にある小さな遊園地が見えた。

「わぁ! 本当に遊園地だ……!」

 ボクが声を出すと、うとうとしていた紅莉が「ふふ」と笑った。

「綺月、テンション上がってきたねぇ」

 それに釣られて姉さんも笑う。

「うふふ……。綺月ったら、私が誘うまで全然乗り気じゃなかったのに」

 今日急に休みになったことを伝えられた紅莉が「遊園地行きたい!」と急に言いだし、姉さんがそれに乗っかる形で今回ボクは連れ出された。

「ボク、遊園地来るの初めて」

 休みの日に急に行きたくなるような場所なのか、ボクは知らない。

「え! そうなの!?」

 驚く紅莉にボクはこくんと頷く。

「撮影とかではあるんだけど、仕事だからあんまり遊べなくて」

 言っててちょっと悲しくなった。同い年の子はきっと何度か行ったことあるんだろう。天才子役と称され、幼い頃から仕事まみれだったボクにはそんな暇なかった。……他にも理由はあるが。

「今日は仕事でもなんでもないのよ。自由に遊びなさい」

「うん。ありがとう、姉さん」

 遊園地の駐車場に入ったことを確認すると、変装用の伊達メガネと帽子を付けた。そんなボクに、ルカちゃんは窓の外を見ながら言う。

「はしゃぐのはいいけど、迷子とかにならないでくださいね。探すの面倒臭いんですから」

 ぶっきらぼうな口調だけど、本当は優しいって姉さんが言ってた。ルカちゃんに続いて姉さんと紅莉も口を開く。

「ふふ。そうね、ちゃんと私たちの目の届くところにいるのよ」

「綺月が迷子にならないように手繋いで歩こっかー」

「ぼ、ボクもう子どもじゃないもん」

 二人の言葉に口を尖らせると車内は笑いに包まれた。んー、皆といるとボクはいつもからかわれる……。

「着きました。お嬢様、手を」

「ありがとう、響」

 姉さんは響さんに手を取られて車から降りた。お嬢様って感じがして、姉さんに似合う。ボクは紅莉と同じ左側から降りた。響さんを真似した紅莉が手を出してくれたのでそれに掴まって降りた。普段は茶色の癖毛をツインテールしてる紅莉は、今日はお下げにしてる。一応変装らしい。

 チケットを買ってスタッフさんに見せると「いってらっしゃい!」と笑顔で言われた。中に入ると軽快な音楽が流れている。開けた広場まで行くと、アトラクションが全部見えた。楽しそうに笑う家族連れで賑わっていて、そこにいるだけでワクワクしてきた。

「凄い……! 本当にボク遊んでいいの?」

 前回も前々回も遊園地に来たときボクは仕事だった。撮影を終えたらさっさと退散するクルーじゃなくて、今日は皆と遊びに来たんだと思うと思わず笑みが溢れる。

「ふふ、いいのよ。どのアトラクションに行きたいの?」

 姉さんは日傘を回しながらボクを覗き込む。首を左右に動かして色とりどりの乗り物を見ていると目が回ってきた。

「……んー、こんなにあると迷っちゃう」

 困っているボクの手を掴んだのは笑顔の紅莉だ。

「全部片っ端から乗ってっちゃおうよ! ほら、おいでっ!」

「わ、紅莉、ちょっと待ってよ」

 歩き出す紅莉に引っ張られながら遊園地のど真ん中にあるアトラクションに行った。

「ほら、これとか面白そうじゃない?」

 ユニコーンやファンシーな色の馬車が上下に動きながら回っている。“レーヴ・カルーゼル”と書かれた看板に、このメリーゴーランドの概要も記されていた。

「メリーゴーランド?」

「うん、乗ったことある?」

 一回だけ撮影で乗ったことあるけど、そのときはスタジオで撮ったから本物はない。作り物だから動きもしないし、正直乗ったとは言えないだろう。

「ない、かも」

「じゃあ、ちょうどいいわ。乗りましょう。響とルカも乗るわよね?」

 姉さんは振り返りメイドの二人を見た。ルカちゃんは頬を軽く書きながら顔を歪ませた。

「すいません。これでも仕事中なんで乗れないんですよ」

 ルカちゃんは姉さんの専属のメイドであり、ボディガードだ。あの梅崎の娘が襲われたら世界の経済が大幅に揺らいでしまう。だから、姉さんの側には常に響さんとルカちゃんがいる。

「貴方たち、乗らないの……?」

 あからさまに寂しそうにする姉さんに、今度は響さんが答えた。

「お嬢様を守るのが仕事なので……」

 響さんの言葉を遮る形で、姉さんは大きな声を出した。

「守るって……。そんなに有名じゃない遊園地選んだじゃない。大丈夫よ、きっと」

 姉さんは背の高い響さんを見上げる形で抵抗していた。そんな状況に慣れている響さんは目を瞑って低い声を出した。

「何かあってからじゃ遅いんですよ。乗ってる最中に襲われたら誰がお嬢様を守るんですか」

 ちょっと叱られた姉さんはつんと顔を逸した。

「……分かったわよ。次来るときはおじさまに許可取って皆で乗れるように言ってもらうわ」

 拗ねながら日傘を響さんに渡す姉さんの肩に両手を掛けた。

「姉さん子どもみたい」

 ボクは笑いながらそう言い、紅莉は姉さんの頭を撫でていた。

「皆で乗りたくて駄々捏ねるなんて、有澄も可愛いなー!」

「ちょ、ちょっと……。やめなさい……、恥ずかしいわ……」

 顔を少し赤らめた姉さんに紅莉と二人で「可愛いー」と言うと、姉さんは「もう、行きましょ」とたじろいでいた。

「じゃあ、行ってきます」

 紅莉がメイド二人に手を振ると、ボクたちもそれに合わせて手を振ってメリーゴーランドに乗った。チープな音楽と少し塗装が剥げたガラスプラスチックの馬。代わる代わる目に入ってくる景色の中には、レンズをこちらに向けている響さんが見えた。手を振ると何も持っていないルカちゃんは笑顔で振り返してくれる。

 すぐに走り終わってしまうお馬さんから降りた。スタッフさんは「いってらっしゃい!」と、お手本のような笑顔だ。遊園地のスタッフさんは皆そう言うらしい。

「ねえ、遊園地って楽しいね!」

 ボクが紅莉の手を取ると紅莉は驚いたように笑った。

「まだ一個しかアトラクション乗ってないよ?」

「でも楽しい。皆で来てるから、より楽しい」

「そうね。皆でいるとどこでも楽しいわね」

 響さんから日傘をもらった姉さんは、右から差す陽に合わせて傘を右側に傾けていた。

「じゃあもっと楽しいことしよっか」

 手を繋いだままの紅莉がキュッと握る強さを高めた。

「え! なに?」

「あれ乗ろっ?」

 紅莉が指す先には、遊園地といえばのアトラクション、ジェットコースターがある。姉さんが口に手を当てながら「まあ、紅莉も悪い人ね」と呟いた。紅莉はとびきりの笑顔でボクを引っ張っていく。

「なんでー、楽しいよ?」

 ジェットコースターに乗るなんて誰も言ってないのに、紅莉は歩き出している。自分が先導すれば皆が着いてくると知ってるから歩いていくんだ。

 手を引かれているボクは姉さんに「楽しいやつ?」と聞くと、姉さんは日傘を少し上に向けて頷いた。

「楽しいわよ。綺月乗ったことないならぜひ乗るべきだわ」

 ……姉さんのその表情ボク知ってる。ボクをからかうときの顔だ。……でもジェットコースターはちょっと気になるから乗ってみようかな。

「紅莉も姉さんも楽しいって言うなら乗る」

「じゃあ行こう!」

 紅莉は空いた左手で姉さんの手を取って両手を上に挙げた。思いっきり挙げるもんだから、紅莉より身長が低い姉さんがちょっと苦しそうにしていて笑ってしまった。スキップ混じりに歩くボクたちの目の前に、大きい影が出てきた。

「……ちょ、響さんどうしたんすか」

 後ろにいたルカちゃんが久々に声を出した。焦りと戸惑いの表情で顔が歪んでいる。

「お嬢様、ジョットコースターは危険なのでやめましょう」

 ボクたちの歩みを止めた響さんは笑顔でそう言った。セリフは怒ってるみたいなのに、いつもの笑顔で言うからそれが少し恐い。

「え、危険なの?」

 ふと耳をすませば、確かに乗っている人の悲鳴が聞こえる。そう言われると危ないアトラクションな気がしてきた。

「そうですよ。シートベルトが外れて転落した事故とかもあります」

 響さんは右手の人差し指を立てて真顔で言う。

「えぇ。ボク急に怖くなってきちゃった」

 ボクが困っていると、ルカちゃんは溜息を付いた。

「大丈夫ですよ。その確率なんて無いに等しいようなもんなんですから」

「無いに等しいってことはあるかもしれないんです。危険ですよ」

 ルカちゃんの言葉を覆そうと必死に説得する響さんの言葉は、姉さんが制した。

「大丈夫よ、響。貴方は心配し過ぎなの」

「お嬢様を守護るのが仕事なんです。私たちに守護らせてくださいよ、お嬢様」

 響さんは悲しそうな顔で姉さんを見つめた。日傘で姉さんの表情はよく見えないけど、九月の残暑のせいか少し赤らんでるようだった。

「何かあってからじゃ、遅いんですって……」

 それも一理ある。あの梅崎財閥の娘でもあり、ラララのメンバーである姉さんがいなくなるのは、妹としてボクも嫌だ。

 二人の様子を見ていた紅莉は口を開く。

「私何度も乗ってるけどこの通りピンピンしてるから大丈夫っ!」

 ルカちゃん、姉さん、紅莉に責められ、三対一の構図が完成し、響さんがたじろぐ。ルカちゃんがボディガードの業を生かして、自身より大きい響さんのことを羽交い締めにした。

「……ってことです。響さんは私が押さえてるのでどうぞ行ってきてください」

「おい、ちょ、ルカ。やめなさいっ」

 暴れる響さんを尻目に三人でジェットコースターの乗り場に向かう。

「ほ、本当に行くの……?」

「もちろん! いこいこー!」

「事故で皆が死ぬとかやだよ、ボク」

 無いに等しいということはあるということなんですよ、という響さんの言葉が頭の中で反復する。

「ふふ、大丈夫。響が過干渉なだけだから」

 そう言う姉さんの言葉を最後に、スタッフさんに誘導されるがままシートに座らされた。

「ガードちゃんと付いた? 大丈夫?」

 スタッフさんにちゃんとガードの説明を受けたのに、紅莉はさらにボクの心配をした。響さんも過干渉だけど、紅莉もボクに対してなかなか過干渉だと思う。

「うん、付いた。紅莉と姉さんもちゃんと付けた?」

 紅莉は、外れないよという代わりにガチャガチャとガードを動かした。姉さんも「ええ、付いてるわ」と、紅莉を見習ってガードを動かす。

「ちゃんと付けてないと、身体が放り出されちゃうってさっきお兄さんが言ってたから」

「もー、綺月は心配性だなー」

 心配性なのは紅莉も同じだけどね、と言おうとしたらコースターが動き出してしまったので、スタッフさんの「いってらっしゃい!」を聞いていた。

 走り出すコースターに胸を高鳴らせながらガードをギュッと握る。落ちたり登ったりするコースターに歓喜の悲鳴を上げているとあっという間にさっきのスタート位置に戻ってきてしまった。

「ねえ、これすっごい楽しかった! もう一回乗ろう?」

 後ろで「いってらっしゃい!」が聞こえる中、ボクのテンションは最高潮だった。

「綺月ー、ジェットコースターハマったんだね?」

「うん! 落ちるとき楽しかった」

「もー、トリコになってんじゃーんっ」

 まだ胸がドキドキしている。紅莉と手を繋いで二人で飛び跳ねていると、姉さんが近くのアトラクションを指差した。

「もう一度乗るのもいいけど、今度はあれどうかしら?」

 シンプルなネイルが施された指先の向く方は、おどろおどろしい色をした建物だった。

「お、お化け……?」

 お化け屋敷……。べ、別に怖くないし……。怖く、ないよ。でも紅莉がお化け屋敷に反対すれば、ボクたち行かなくて済むかな……。

「いいセンスしてるねぇ」

 え……、まさかの賛成?

「ぼ、ボクはいいかな。遠慮しとくよ」

 このままだとお化け屋敷に行かなくちゃいけなくなってしまう……、どうしよう。

「あら、どうして?」

 姉さんは無垢な瞳でボクを見る。

「あ、いや……」

「あ、綺月、怖いんでしょー?」

「こ、ここ怖くないよ! 全然!」

 ボクが必死に言ってるのに、むしろそれも楽しむように紅莉は手を引く。

「じゃあ行こっかっ!」

 引かれる手をグッと手前に引き戻す。

「あ、ぼ、ボク遠慮しとくって……」

「遠慮は無用っ! ちなみにお化け屋敷って、言うほど怖くないから大丈夫だよ」

「そうなの?」

 疑問符を頭に浮かべると、姉さんはボクの背を軽く押す。

「そうね。怖くなさすぎて拍子抜けしちゃうことのほうが多いんじゃないかしら」

 なんだ。お化けって言うから怖いのかと思ったら怖くないんだ。手を引かれ、背を押されているボクは安堵したように呟いた。

「そうなんだ。じゃあ行こうかな」

 ボクの呟きを聞いた紅莉は笑った。

「やっーぱ怖がってたんだ」

「あ……っ、えっと、別にそうじゃないもん」

 紅莉と一緒に笑う姉さんに対して、響さんは落ち着いた声を出した。

「我々も同行させていただいて宜しいでしょうか」

 その言葉を聞いた姉さんは、ぱあっと表情を明るくした。

「まあ、響とルカも来てくれるのねっ!」

「一応密室ですし、なにかあれば我々がお守りします」

 ルカちゃんは「任せてください」と、軽いガッツポーズを取った。服の裾から見えた筋肉が説得力を増す。

「最近のお化け屋敷がどんなもんなのか、ちょっと興味もありますしね」

 何故か楽しそうにするルカちゃんに姉さんは「じゃあ五人で行きましょう」ともっと楽しそうだ。

 外は暑いのにお化け屋敷の中はひんやりしていた。それがまた恐怖感を誘う。

「ひっ! ゾンビ!」

 急に現れたボロボロの服を着た何かに思わず声を上げる。性別も判らない皮膚がただれた人間のようなそれは、ボクたち一行をゆっくり追い詰める。

「わわ、追いかけてくるよ!」

 そう言った瞬間、ゾンビらしきモノはのっそり立って走り出した。逃げ込んだ先には人間の生首がたくさん置いてあって、ボクは思わず近くに居た姉さんの手を握る。

「ね、姉さん!」

 半泣きで名前を呼んだのに、暗闇の姉さんは笑顔でボクを前に出す。

「綺月が進んでくれないと私たちも進めないのよ?」

「ぼ、ボクが一番先頭なの……!?」

 足がすくんでいると、三番目にいた紅莉が笑い混じりに言う。

「綺月の反応が面白いからっ」

 その声に反応して後ろを向くと、皆笑っていた。

「なんで皆楽しそうにしてるの!」

 こんなに怖いのになんで笑えるのー! 

 逃げるように屋敷を出ると、側にあったベンチに座った。

「……こ、怖かった……」

 青ざめるボクとは正反対に紅莉はホクホク顔だ。

「やー、楽しかったねえ」

「紅莉、貴女は綺月の反応が楽しかっただけでしょう?」

 屋敷の影になったベンチ右側に姉さんも座る。

「あはは、そうだよっ。綺月超怖がってて可愛いんだもん」

 続いて紅莉も座って、いっぱいになったベンチの目の前にメイド組が立っていた。

「全然怖くなかったですねー。私の出身地の方がもっと怖いですよー」

「そうだな。当たり前のように人間じゃないものが蔓延っていますし、そっちの方がある意味スリルがあるかもしれません」

「まあ、皆さんは一生行くことは無いと思いますし、行かないほうがいいと思いますね」

 二人が詳しく彼女らの出身地の話をしようとするので、ボクは慌てて制した。

「はあ。……もう明日から夜トイレ行けない……」

 俯くと紅莉は脳天気な声を出した。

「え? そんなに怖かった?」

「怖かった……。ゾンビ出てきたんだもん……」

「ただの作り物よ? 本物じゃないわ」

「でも……、でも……」

 ボクが言葉に詰まると、姉さんは頭を撫でてくれた。

「綺月がそんなにお化け苦手だって知らなかったわ。ごめんね、綺月」

 紅莉もボクの背中を擦りながら「無理に誘っちゃったね、ごめんね」と言った。

「だい、じょぶ……」

 謝ってもらうほどボク怖がっているように見えたのかな……。

「ね、ご飯食べて気分転換しよっか?」

 紅莉の提案で昼過ぎの屋台に向かった。

「ホットドッグとー、ポテトとー、あとはー……」

 看板に書かれたメニューを見ていると、お化けのことなんて忘れてしまう。

「わ、美味しそう……。ボクソーセージ食べたい!」

「じゃあ、皆が食べたいもの買って分け合いましょう」

「有澄頭いいー! そうしよ!」

 三人で看板を見ていると、ルカちゃんがメモ帳片手にそこにいた。

「私買ってきますよ。欲しい物教えてください」

 欲しい物を三人で好き勝手言うと、「ほぼ全部じゃないですか」とルカちゃんは笑った。

「お席準備しておきました。ここにお座りください」

 後ろから響さんの声が聞こえた。白いテーブルを二つ繋げてチェアを三つ並べた席を、用意してくれていたらしい。平日の夏休み終わりということもあり、テラス席は空いていた。

「わー! ありがとうございます!」

 紅莉が一番に座るとボクたちも座る。程なくしてルカちゃんが軽食を運んできてくれて、それの写真を数枚撮った。

「ささー、食べよー!」

 紅莉の合図でボクたち三人は目の前の宝にありついた。メイドさんは仕事で来てるからと言って、一口毒味しただけでもう食べるのをやめてしまった。

「そういえば、綺月さんって遊園地来るの初めてなんですよね?」

 ラーメンを啜るボクに、ルカちゃんが話しかけてきた。

「その年頃ならご家族で遊園地に来た思い出とかありそうですけどねー」

 幼い子を見るような優しい笑顔を向けられる。その手の話はなんて言ったらいいかわからない。ボクは返答に困って「え、っと……」と言い、箸を置いてしまった。

「ルカ、その話を気軽に綺月に言うのはあまりに酷よ。やめなさい」

 ボクの代わりに姉さんが答える。いつも微笑を浮かべてる姉さんが笑っていなかった。ボクの幼少期の話を知らないのはルカちゃんだけだ。

「え、あ、ご、ごめんなさい……っ! なんか私、ダメなこと言いましたよね……!」

 ただならぬ空気を読み取ったのか、ルカちゃんは焦りを隠せていなかった。主である姉さんに怒られたルカちゃんを少し不憫に思ってしまい、ボクは引きつった笑顔を見せ、平然を装った。

「全然、大丈夫だよ。気遣わせちゃってごめんね、ルカちゃん」

 「いえ……、私こそ……」と落ち込むルカちゃんにこれ以上どう声をかけたらいいのかわからない。

 数秒の沈黙の後、紅莉の明るい声が耳に入った。

「ね、SNS用の写真欲しくない? ルカちゃん、三人で撮るからカメラお願いしていい?」

 カメラマンを任命されたルカちゃんは、気を取り直すように無理やりいつもの明るい声を出す。

「はい、喜んで!」

 紅莉からスマホを受け取ると、ルカちゃんのオレンジ色の前髪がはらりと揺れた。レンズを向けられ、三人で笑みを浮かべる。シャッター音が二度鳴ったあと、スマホは紅莉へと返却された。

「あ、早速レイちゃんからMATE来てるー!」

 返されたスマホを覗き込んだ紅莉は嬉しそうだ。

 今日遊園地に来た五人と緑川レイというラララのマネージャーを含んだ六人のグループラインだ。レイちゃんも誘ったが、「私はいいので皆さんで楽しんできてください」と言って、断られてしまった。本当は皆一緒に来たかったんだけど、レイちゃんには別の仕事が入ってたみたいだから仕方ない。

「ねえ、写真撮ってレイちゃんに送ってあげようよ!」

「いいわね。撮りましょう」

 紅莉はスマホのカメラアプリを起動して、インカメラにした。メイドの二人も呼んで五人で写真を撮った。

「はい、チーズっ」

 さっき撮った軽食の写真も一緒に送るとすぐ既読が付いて、”皆さんが楽しそうでなりよりです”と返事が来た。紅莉のアカウントでやりとりしていたから、ボクのスマホはアプリを起動したまま放っていた。

「あれ? 皐月さんとMATE交換してたんだー」

 ”トーク”欄から皐月さんの名前を見つけた紅莉はそう言った。口角をゆっくり上げる紅莉は楽しそうだ。

「え、うん。し、しつこかったから」

 ボクが敢えて小声で言い返したのに紅莉は大きな声で嬉しそうな声を出す。

「へえ。いいじゃん、いいじゃーん」

 他四人の視線を一斉に受けてなんだかむず痒い。

「あら、皐月さんはなんて仰ってるの?」

 姉さんまで会話に参加してきた。トーク画面を開くといくつかの吹き出しが出てきた。一番下にある最新の会話を見た。

「……”二人でご飯行きませんか”、だって」

 消え入るような声で言うと、紅莉は自分のことかのように喜んでいる。

「えっ! デートのお誘いじゃーん! しかもクリスマスー!」

 ”デート”の部分だけ強調して言う辺り、紅莉は完全に楽しんでいる。

「で、デートって……」

「デート行きましょう、って送ろうよー!」

 勝手にテンションの上がっている紅莉を宥めるように言った。

「……次勝つためには敵のことを知らないといけないから誘ってるんだよ。デート、とかじゃないよ……」

「ふふ。じゃあ綺月も敵のこと知るために行かないと、でしょ?」

  姉さんは口に入っていた食べ物を飲み込んで、ボクの目を見つめながら言った。……そう言われると返す言葉がない。

「そう、だけど……」

「それとも、二人きりで会いたくないほど、皐月さんのこと嫌いなの?」

「嫌い、とかじゃないけど……」

 ボクの否定の言葉を聞いて紅莉と姉さんは自分のことのようにはしゃいでた。

「嫌いじゃないならいいじゃん! 折角のチャンスだよ?」

「いい機会でもあるし、そんな嫌がることないじゃないの」

 二人から攻撃を食らってタジタジになったので「もういいでしょ!」と、唇を尖らせる。

「もー、綺月ってばつまんないなー!」

 紅莉は笑ってボクの頭をポンっと軽く叩いた。そして「私トイレ行ってくるー」と言うと、同行者の確認をした。

「皆行かなくて平気なんだ。じゃあ私一人で行ってくるねー!」

 紅莉がハンカチなど諸々を持って去っていくのを見ていると、ふとジュースの看板が目に入った。

「私、あれ飲みたいわ。買ってこようかしら」

 姉さんも同じ看板を見ていたらしい。

「美味しそうだね! ボクも飲みたいな」

「じゃあ、買ってくるわね。……響は私と来なさい。ルカは荷物と綺月をお願いね」

 姉さんの指示に「かしこまりました」と声を揃え軽いお辞儀をするメイド二人。一連の所作が完璧で、メイド服を来ていなくてもそれが滲み出ている。

「……で、なんて返したんですか?」

「え……?」

 ルカちゃんが唐突にそう言うから、何のことが解らず気の抜けた声を出してしまった。

「皐月さんに、ですよ。デートのお誘いMATEの返信、まだしてないんですよね?」

「してない、けど……」

「しないんですか? 早めに返信しないと」

 飾り気のない言葉遣いをする人だ。普段一緒にいる姉さんや紅莉、響さんとレイちゃんも言葉を飾りがちだ。今までもボクの側に居た人で直球に言葉を言う人が居ないから、そういう意味でもルカちゃんは新鮮だ。

「そ、そんな早くに返信しなくても……」

 ボクの自信なさげな声に、ルカちゃんは真顔で「でも」と言い、続けた。

「早く返信しないと誰かに取られちゃうかも」

「取られる……?」

 皐月さんは皆の皐月さんだから、取られるってのはどうもピンとこない。ボクたちが優勝するまで優勝はRock×ON!!!で確定していたような人だ。ファンの人だっていっぱいいるだろうし、女の子に囲まれる生活なんだろう。……他の女の子、か。

「私実は皐月さんのこと好きなんですよねー! 綺月さんがモタモタしてるなら私皐月さんのこともらっちゃおっかなー」

 ルカちゃんは笑顔でこう言った。両手の手のひらを頬に付けてふんわりと笑う彼女を見ていると、ルカちゃんの言いたいことが解った気がした。

 そっか、取られるってそういうことなんだ。誰かのトクベツになるってことなんだ。そしたらボクに話しかけることも、MATE送ってくれることも、なくなるのかな。

「そ、それはダメ……っ」

 思わずそう言って立ち上がってしまった。プラスチックの椅子が地面に擦れる音が響く。

 どうしてだろう。この間見せてくれた笑顔が、他の人に向くかもしれないと思うと心が苦しくなる。ボクの出たテレビを見て感想を言ってくれることもなくなっちゃうのかな。

「でも綺月さんは皐月さんのこと好きじゃないんでしょ?」

 好き……? そういうの、よくわからないよ。もし、“誰か”の特別じゃなくて“ボク”の特別になってほしいって思う気持ちを好きって言うなら、ボクはきっと皐月さんのこと……。

「じゃあ、私皐月さんのこと好きなんでもらってきますね」

 笑顔のままスマホを取り出すルカちゃんに何も言えなくて、下唇を噛んだ。

「……っ」

 ボクは泣きそうになった。スマホの画面見ているルカちゃんを眺めていると、これみよがしに溜息を付かれた。

「はあ……。いいんですか? 取っちゃって」

 自分から取っちゃおうとか言ったのに、ボクに確認取るなんてずるい。

「ルカちゃんが好きなら、しょうがないかなって……」

 ルカちゃんには好きな人と幸せになってもらって、ボクは諦めよう。……全然皐月さんのこと好きじゃないし。だから諦めるとかそういうんじゃない。うん、そうだよ。ルカちゃんの恋、応援しよう。

「……もう。素直になったらいいのに」

「……え?」

 また溜息を付かれた。なんか、ルカちゃん怒ってる……?

「私に取られそうになって焦ったんでしょ? 独り占めできたら、って思ったんでしょ?」

「っ……!」

「それはもう好きってことなんですよ」

 好き? 私が皐月さんのこと好き?

「皐月さんのこと考えると胸が少し痛くなる。……それって好きってこと?」

 紅莉や姉さんのこと大好きだけど、胸の辺りがキュってなったことは一度もない。でも皐月さんのときだけキュってちょっと痛くなる。

「そうです。その痛みが好きってことです。恋してるって感覚です」

 恋ってこんな感じなんだ。恋愛映画の仕事はしたことあるけど、ヒロインの女の子はこんなに苦しい気持ちでいたんだ。知らなかった。

「しかも、敵のことを知るためにご飯に行くのって違くないですか? それなら綺月さんと皐月さんが二人きりのご飯に行くんじゃなくて、リーダー同士にでも行ってもらえばいいじゃないですか」

「それは……」

 それはなんか嫌だ。紅莉ならまだいいけど、皐月さんが他の女の子と二人きりでご飯行くの、なんか嫌だ。

「で、どうするんですか?」

 催促するように言われた。応えるように、言葉を紡ぐ。

「皐月さんのこと、ルカちゃんにも、誰にも取られたくない……、な」

「じゃあ、返事は決まりですね」

 ボクの言葉に返した言葉には、さっきまでの少しイヤミを含んだ口調が消えた。ボクは「うん」と言って誘いに乗る旨のMATEを送った。送信ボタンを押すのを確認したルカちゃんはそっぽを向きながらあっけらかんとこう言った。

「ちなみに言っておきますけど。私はずっとウジウジしてる綺月さんに苛立ったからそう言っただけで、皐月さんのことなんて全然好きじゃないですよ」

「えっ」

「ウソついたことは謝ります。でも、ずうっと返信できずにいるの見てるとイライラしちゃって……、ごめんなさい。……過去に何かあったみたいだから。綺月さんには幸せになってほしいなって」

 申し訳無さからか、全然目を合わせてくれない。

「……じゃあ、皐月さんのこと取らない?」

 立っているルカちゃんを覗き込むような形で目を合わせると、ルカちゃんはボクの目を見て優しい先生のようにゆっくり言った。

「私は取らないですけど、誰かが取っちゃうかもしれませんね。好きなら、取られる前に取っとくべきですよ?」

 そして、少し間を置いて続けた。

「だって、好きなんでしょ?」

 そう、はっきり言われると、ちょっと答えづらい。

「……ん、ちょっとだけ、好き、かも」

 濁すように言うと、ルカちゃんは風で揺れる前髪を直しながら柔らかい笑みを見せた。

「かも、じゃなくて、好きなんですよ。さっきから耳真っ赤ですよ」

「……はっ」

「あ、顔まで赤くなった」

「い、言わないで……」

 ボクは両手を使って顔を隠した。自分でもびっくりするくらい表面に熱を帯びていた。それがまた恥ずかしくて、余計に熱を発してしまう。ルカちゃんの顔がボクの顔にズイッと近付く。耳元に口を近づけると、小声でこう言った。

「デートいつ行くのか知らないですけど、私が一芝居打ったんですからちゃんとゲットしてきてくださいね」

 ボクは小さく「頑張る」と言うしか出来なかった。

 トイレから戻ってきた紅莉が、「トイレ混んでたよー」と辟易しながらボクの左隣に座った。

「え、綺月顔赤いよ! 熱中症!?」

 「おかえり」と声をかけたボクを見るやいなや、紅莉は手をボクのおでこに当てた。

「あ、いや、全然大丈夫だよ」

 皐月さんの件で顔が赤くなった、と正直に言ったら、なんてからかわれるか分からない。ここは誤魔化しておいた方がいいよね……?

「ほんとに? 辛かったら言ってね?」

 心配そうにボクを見る紅莉に、少しだけ申し訳無さを抱いた。

「大丈夫ですよ。彼女は恋の病にかかっただけですから」

「わー! 違うって!」

 ルカちゃんの一言のせいで紅莉に気づかれてしまった。もー、なんで言っちゃうのー!

「へえ? 皐月さんに返信したのー?」

 楽しそうに舌舐めずりをする紅莉に押されて観念することにした。

「う、うん」

「デート行きます、って言ったの?」

「で、デート……。うん、まあそんな感じ……」

 紅莉はデートってところを凄く強調する。きっとボクが口籠るのを楽しんでるんだ。紅莉の好きな人を知ったら、ぜーったいからかってやる……っ!

「見せて見せてー!」

「ええ、恥ずかしいよ……」

 渋々見せると紅莉は「え!」と驚きの声を上げた。

「ハートマークとか使ってないの?」

「使わないよ」

「絵文字もないし、丸しかないじゃん」

「それでいいの」

 ハートマーク送ろうよー、と言う紅莉に一生懸命抵抗していると、姉さんの声が聞こえた。

「あら、紅莉戻ってたのね」

 声に反応した紅莉がスマホを持ったまま姉さんを見上げた。

「あ、有澄と響さん、何処行ってたの?」

 そう言いながらスマホをボクに渡し、ボクはスマホをポケットに仕舞った。またハートマークとか言われたら困るから、紅莉の目の届かない所に仕舞い込んでおく作戦だ。

「ジュース買ってたのよ。レモンとラズベリーどっちの味がいい?」

 響さんの両手には赤い飲み物と黄色い飲み物があった。姉さんの手には橙色の飲み物があって、これは多分オレンジとかなんだと思う。

 紅莉は「ありがとー!」と言うとラズベリーと言われた赤い方の飲み物を手にしていた。レモン味好きなボクが黄色を選ぶことを見越してラズベリーを選んでくれたんだ。

 飲み物を片手に少しお喋りをして、その後いくつかのアトラクションに乗った。

「そろそろ別荘戻りましょう。陽が落ちます」

 楽しみが尽きなくて困っているところに、響さんからのストップが下された。刻は夕暮れ。確かにそろそろ遊園地を出ないと、この山奥じゃ危険だ。

「そうね。レイちゃんと事務所にお土産買って帰りましょう」

 姉さんの言葉を合図にボクたちはお土産コーナーへ歩みを進めた。

 あまりお土産に興味がないので、どんな種類のお土産にするかは全部紅莉と姉さんの二人に頼むことにした。響さんも一緒に選んでくれるらしい。

「皐月さんにお土産買っていかないんですか?」

 一人で店内をフラフラしていると、ルカちゃんが話しかけてきた。

「え、皐月さんに? なんで?」

「会話の種にできるかもしれませんよ? 今度収録とかで会わないんですか?」

「確か……、来週会う、かな?」

 来週はRock×ON!!!の冠番組にお邪魔することになっている。ルカちゃんは「じゃあ買っていきましょうよー」と、何故か乗り気だ。

「なんて言って渡せばいいかわかんないし、買わなくていいよ」

「そんなのお土産です、って言って渡せばいいんですよー。デート前に好感度ポイント貯めておけば、好感度上がりますよ? ……もっと好きになってくれるかも」

「ほ、ホント?」

 皐月さんに好きになってもらえるかも……。……って、別にそんなことしてまで好きになってもらいたいなんて微塵も思ってないけど。本当に思ってないけど! 

「ええ。絶対渡した方がいいですって。オトナの恋愛マスターの私が言うんだから間違いなしです」

 恋愛マスターのルカちゃんがそこまで言うなら……。

「じゃ、じゃあ買ってこうかな」

 お土産に目を向けると、緑色のアクリル素材のストラップが光っているように見えた。

「これ、皐月さんぽいな……」

 どことなく皐月さんを彷彿させるそのくまのストラップを手に取った。……一応青色のも取って二つをレジに持っていった。……一応、だけどね。

「……おまたせ」

 外に出ると陽はもうだいぶ傾いていた。

「随分時間かけて選んでたわね。気になった物があったの?」

 店の前のベンチでくつろぐ姉さんにそう聞かれ、自分が長い間吟味していたことに気付く。

「う、うん。まあね」

 悟られないように歩き出すと、紅莉がすぐ後ろをひょこひょこ付いてきた。

「あー、今日めーっちゃ楽しかったねー!」

「うん、楽しかった」

 たくさん乗り物乗れたし、遊園地って楽しい。また皆で来たいな……。

「また近いうちに来ましょう。今度は別の遊園地でもいいかもしれないわね」

「別のとこ? 行きたい……!」

「そこでもジェットコースター乗ろうねっ」

「うん! 乗る!」

 ボクたちは帰るのに、入っていくお客さんもいた。そのうちの一組はカップルらしく、手を繋いで仲睦まじそうに歩いていた。ふと思い出したのは皐月さんで、さっきの返信が来てるのか通知欄が気になった。

 広くない駐車場に停まった車に乗り込む。「沢山歩いたねー」と笑う皆に同調しながらスマホを取り出した。さっき買ったアクリルキーホルダーの青色の方のくまを付ける。ふと見てみると皐月さんからの返信があった。

「うん、大丈夫だと思う。確認してみるね。

 あ、あと、来週俺らの番組来てくれるよね! 楽しみにしてるね!

 また連絡します。」

 顔の形の絵文字がふんだんに使われた文章を目で追う。既読を付けたら早く返さないと、というルカちゃんの言葉を思い出した。

「はい、楽しみにしてます。」

 ……ハートマークとか使ってみよう。どう使えばいいのかわからないから、一個だけ文章の最後に付けてみた。

 * * *

 ボクを呼ぶ声がする。

「……づきー、綺月っ!」

「……んん?」

「着いたよーっ?」

 とびっきりの笑顔が目に入ってきた。紅莉だ。

「ふぇ? もう?」

 いつの間にか寝てしまったらしい。遊園地から梅崎財閥が所有する別荘に着くまでの時間、ほとんど寝ていた気がする。

「綺月、一番に寝たね」

 紅莉が車から降りながら笑った。既に車から降りてる姉さんも釣られたように笑った。

「ふふ、紅莉が二番目だったかしら?」

「えー? 有澄のほうが早かったってー」

 二人は大きな車から別荘へと歩き出した。木が鬱蒼と茂る森の中にポツンと現れたそれは、有名な避暑地の一等地に存在する。一階建ての木造のこの建物は、夜風のせいで陰湿な雰囲気が漂っている。……遊園地のお化け屋敷思い出しちゃいそう。

「どちらもすぐ寝てましたよ」

 響さんのセリフに「えー?」と納得行かなそうにしている二人は、響さんの先導で中に入っていった。ボクも三人を追いかけようと、車から降りた。

「私は外でバーベキューの準備をするので。虫除けスプレーして待っていてください」

 後ろからルカちゃんの声がする。森の中にある別荘なので、今の時期は特に蚊取り線香や虫除けグッズが欠かせない。よって、別荘に常備しているらしい。

「うん、わかった。ボク手伝わなくて大丈夫?」

 もうここまで来れば、身バレの心配もない。ボクは返事をしながら帽子やマスクを手に抱えた。

「んー、火扱うんで危ないですし……。……あ、お疲れじゃなければ、食材運ぶのとか手伝ってもらってもいいですか?」

「わかった。響さんとかに聞いてみる」

「ありがとうございます」

 軽い言葉を交わして、冷房の効いた別荘へと入った。

 適当な所に荷物を置いて、洗面所で手を洗った。入り口入って右にある開けたリビングスペースに足を運ぶ。リビングスペースの扉を開けると、右にテラス、左はキッチンだ。

「準備しますので、このリビングで待っていてくださいね」

 キッチンのほうから響さんの声がする。フラフラと歩き回っていた紅莉が、「私手伝いますよー!」とキッチンへ入っていく。エプロンを付けた響さんは、眉を下げて困ったように笑った。

「有難うございます。でも大丈夫ですよ、お疲れでしょうし……」

「全然! バーベキューは準備してる時間から楽しんですよーっ」

「そ、そういうものなんですか……?」

「そうそう!」

 ボクも手伝う、と言おうと思ったそのとき、いつから居たのか、トイレに行っていたらしい姉さんが会話に入ってきた。

「なら私も手伝おうかしら。綺月、一緒に準備しましょう?」

 断る理由なんてないので、「うん、ボクもお手伝いやりたい」と頷く。下げた眉を上げたまま、響さんは頭も下げた。

「皆さん、有難うございます」

「私たちがやりたいだけだから気にしないでっ」

 紅莉はそう言うと、テラスではルカちゃんが手際よく準備してるのを指差して「私、ルカちゃんの手伝いできないか聞いてくるよ!」と、パタパタとスリッパを鳴らして行ってしまった。

「食材結構あるわね……。どのお野菜から切ろうかしら」

 キッチンのテーブルに並べられた色とりどりの野菜。眺めていると、人生初めてのバーベキューに胸が高鳴った。
「お嬢様。包丁は危ないので、私が野菜を切ります」

 響さんは高い背を壁にして、キッチンに入っていく姉さんを止める。

「大丈夫よ。お野菜くらい、私にも切れるわ」

「何を仰っているんですか。綺麗な手に切り傷なんて作ったらどうするんですか……?」

 膨れ面で抗議する姉さんと笑顔で制止する響さんの図を、今日は特によく見る気がする。

「響さんは本当に過保護なんだね」

 ボクが笑うと、背の高いメイドさんは何故か自慢げだ。

「当たり前です。大事な大事なお嬢様ですから」

 響さんとは対称的に、姉さんは溜息を付く。

「……もう、そうやっていつも私の身の回りのことやっちゃうのね」

 セリフに似合わず、姉さんは嬉しそうにしている。ずっと何年もこの関係性だから、もう慣れっこなんだろう。……そういうのちょっと羨ましいかも。

 外のテラスからよく響く明るい声が聞こえた。

「ごめんーっ! テーブル出すから手伝ってー!」

「あ、ならボク行くよ!」

 「紅莉の手伝い行ってくるね」と姉さんを見ると、どこから出してきたのかわからないエプロンを響さんに付けられていた。

 リビングスペースからテラスに出ようと足元を見ると、サンダルが三つ並んでいたので、青いサンダルを選んで履いた。折りたたみ式のテーブルを紅莉と二人で広げる。

「お二人とも、ありがとうございます」

 そう言うルカちゃんは炭と着火剤を駆使して火を起こそうと頑張っているようだ。

「ルカちゃん汗凄いよー! こっちは全然大丈夫だから、汗拭いて水分取ってね!」

「あ、お水、ここにあるよ」

「はい、ありがとうございます」

 ルカちゃんが作業を中断して水を飲み始めたのを尻目に、テーブルの設置を終わらせた。

「……ふう。重いもの持つと結構辛いね。手伝ってくれてありがとねっ、綺月。これでお皿とか運んでこれるかな」

「うん。ボク色々持ってくるよ」

 折りたたみ式の椅子を広げる紅莉が「ん、ありがと!」と言ったのを聞きながら、サンダルを脱いで、リビングスペースを挟んでテラスの反対側にあるキッチンへ向かう。

「なにか手伝えることあるかな?」

 食材の準備をしている響さんに声をかけた。

「んー、そうですね……。ジュースとか運んでいただけると助かります」

「うん、わかった」

 冷蔵庫を開けるとペットボトル飲料が二本入っていた。ボクが好きな炭酸ジュースと、姉さんが好きな乳酸菌飲料。どちらも二リットル入っている。ビールとか氷とか入れたクーラーボックスはさっき持っていったから、ペットボトルだけ持っていけばいいだろう。

 二本同時に持ったので、響さんに「重いので一本ずつでいいですよ」と言われ、皿に入った材料をせっせと運んでいた姉さんには「無理に持っていかなくてもいいのよ? 往復すれば良いのだから……」と諭された。

「大丈夫。ボクとっても力持ちだから」

 普段の筋トレで鍛えているので、両手で四リットルくらいは余裕で持てる。ちょっと重いけど、短い距離だから全然大丈夫。

「よし、これで全部です」

「私達もこれを持って外に行きましょう」

 肉や野菜を盛り付けた皿を持った二人と一緒にテラスへ出る。外はもう真っ暗だ。街灯がない分余計に暗くて、虫の鳴き声が直接身体に響くような気がした。

 都会じゃ感じられない心地よい自然のBGMに深呼吸をしたくて、さっき設置した少し不安定なテーブルにそっとペットボトルを置いた。

「わ! 綺月、二本一気に持ってきたの!」

「このくらい全然大丈夫だよ」

 涼しい顔をしてみたけど、やっぱちょっと重かった。

「ありがとー! さすが綺月だね! “力持ち”ー!」

「ええ、“力持ち”でとっても頼もしいわ」

 姉さんも紅莉も大袈裟にボクを褒めるから、得意げな気持ちになってしまう。

「……ふふ、なるほど。確かに綺月さんは“力持ち”ですね」

 響さんまでも笑ってそう呟いたので、得意を通り越して羞恥が出てきてしまった。

「も、もう、皆してそんなに褒めないでよ……」

 ボクの一言で笑いに包まれた空間に、ルカちゃんの嬉しそうな声が交じる。

「あ、火付きましたー!」

 ひらひらと燃える炎が網の隙間から見え隠れしている。ルカちゃんが網の温度を確認して、肉や野菜を並べだした。塩が振りかかっていくそれを見ていると自然とお腹の虫が動き出した。

「皆さん手伝っていただき有難うございます。おかげで予定より早く準備が終わりました」

 再度ボクたちに頭を下げた響さんを紅莉が「いえいえー」と、否定の意味を込めて手を横に振る。

「ずっと待ってるのも居心地悪いし。楽しいからいいんですよー」

 ボクは頷いて紅莉の発言に共感を示す。

「お嬢様に素敵なお仲間が出来て私は嬉しいです」

 響さんが一人で感慨深そうにしていると、「焼けましたー!」とルカちゃんが皿にお肉を乗せている。紅莉が開けたビールの音でようやくバーベキューが始まった。

 軽い素材の皿に乗せられた焼き立ての肉を口に運ぶと香ばしい香りが鼻から抜ける。少し甘いタレの風味と、肉本来の脂の甘さが絶妙にマッチして思わず頬が落ちそうになった。

「……っぷはー! やっぱビールさいこーっ!!」

 ビールを一口飲んだ紅莉が缶ビールを片手に笑みを綻ばせている。思わずルカちゃんが焼き肉トング片手に吹き出していた。

「紅莉さん、現役アイドルとは思えないくらいいい飲みっぷりですね」

「ビール飲んだら皆こうなるってー。響さんとルカちゃんは飲まなくていいの?」

「一応ほら、私達仕事中なんで……」

「そうだったね。ごめんねえ、私だけ」

 そう言う紅莉は、申し訳無さの欠片も感じないくらいハイペースでビールを口に運んでいる。

 響さんは何かを思い出したのか、両掌を合わせた。

「そういえば、マシュマロもご用意していました。召し上がりますか?」

「食べるー! 焼きマシュマロしたい!」

 甘党の紅莉のテンションがあからさまに上がる。焼きマシュマロという単語にボクも期待を膨らませた。

「ボクもマシュマロ食べたい!」

「いいわね。響、持ってきてくれるかしら」

 姉さんも賛成し、響さんは「かしこまりました」とリビングスペースからキッチンに向かっていった。

 持ってきてくれたマシュマロを串に刺して炙る。高ぶる気持ちを抑えて、溶け出したマシュマロの表面を見つめる。焦げる寸前で火から離した。

「めちゃくちゃ熱いんで火傷しないように気をつけてくださいね」

 ルカちゃんの忠告を聞き、ふーっと冷ましてから口に運んだ。

「ん、美味し……っ」

「美味しいねえ」

 トロリと口の中で消えるそれは、甘くて少し酸味があった。少し焼き過ぎたせいか若干の苦味も含んでいて、それがまた甘さと上手く絡まって、また頬が緩む。

 甘くてほろ苦い、気の抜けたサイダーをコップから口に移す。なんとなく、どこかで感じたことがあるような気がした。

「さあさあ皆さんっ! 花火ですよーっ」

 ルカちゃんが手に抱えていたのは、賑やかなパッケージを施したビニール。

「花火ー! やりたーい!!」

 いの一番に手を挙げたのは紅莉だった。右手を挙げた彼女を制すように響さんが割り込む。

「駄目です」

「えー、なんでですかあ。ぜーったい楽しいですよ?」

 響さんに駄々っ子のような口を尖らせるのはルカちゃんだ。

「危ないからだよ。火を使うんだから」

 隠すように命じる響さんに対して、姉さんが静かに言った。

「いいじゃない。響もルカもいるんだから、安全でしょう?」

「ぼ、ボクも花火やってみたい!」

 便乗するように声を上げると、響さんは堪忍してくれたようだ。

「わかりましたよ。気をつけてくださいね」

 紅莉は「やった!」というと、自身のライターを持ち出した。

 ルカちゃんが準備してくれている間、残ったお肉を食べようと思ったのに、既に一つも残っていなかった。手持ち無沙汰になったのでルカちゃんを眺めていると、程なくして手際よく準備を終えた彼女が手持ち花火を手渡してくれた。

「火つけますよ」

「うんっ」

 キラキラと輝く光。光っては消え、夜風の中に溶け込んでいく。

「綺麗ね」

「うん、きれい」

 姉さんと一緒にボーッと眺めていると、すぐに消し炭に変化してしまった。

「ね、線香花火しよっ! 負けた人が罰ゲームね!」

 紅莉が手に持っていたのは、今ボクたちが遊んでいた花火と違う形のやつだ。

「え、負けるってなにを?」

 ボクは紅莉に聞き返す。

「なにか面白いゲームでもあるのかしら」

 姉さんと二人揃って首を傾げると、紅莉は答えてくれた。

「あー、えっと……。ここに丸いのが付いてるでしょ? これが一番最初に落ちた人が負け!」

 とってもシンプルでしょ、と言う紅莉に渡してもらった花火を、右手に持った。

「罰ゲームは、好きな人暴露とかどうよ?」

 紅莉は楽しそうに言う。

「いいわね。それにしましょ」

 姉さんまでそんなこと言いだした。

「綺月の好きな人はなー、もうわかりきってるみたいなもんだからなあ」

「そうねえ。じゃあ、このルールは不公平かしら?」

 ニヤニヤしている二人にボクは言葉を返す。

「ぼ、ボク別に皐月さんのこと、好きとかじゃないから……」

 消え入りそうな声をひねり出していると、紅莉の「ふふっ」という笑い声が聞こえた。

「えー? 私たち別に皐月さんなんて一言も言ってないよ?」

 紅莉は今日一番の笑顔で嬉しそうにしている。その笑顔で、ボクは二人のコウミョウな罠に嵌められたことに気がついた。

「わ! わ、べ、別にそうじゃないって言いたかっただけだよ!」

 あたふたしながら否定した。心の奥でズキリという鈍い痛みが走ったように感じた。それが、皐月さんのことを考えたからなのか、自分の気持ちを否定したからなのか、どちらも含んだ痛みなのかは判らなかった。

「ふふっ、からかってごめんなさいね。わかってるわよ」

「綺月可愛いからいっつもからかっちゃうよ……。ごめんね」

 二人から頭を撫でられると不思議と許してしまう。「怒ってないからいいよ」と花火の催促をすると、二人は頷いた。

 三人で手に持った線香花火を見つめる。

「しゃがんだ方が落ちにくいよ」

 そう敵に塩を送る紅莉に従って、腰を下ろす。

「ね、罰ゲームは、落ちた人からお風呂ってのどう?」

 紅莉の案が採用され、一つしかないロウソク目掛けて三人で花火の先をくっつけた。

「いくよ、せーのっ」

 同時にパチパチと球状の光が三つ並んだ。

「負けないぞ……!」

 光に照らされた二人の顔を交互に見ながらボクはそう意気込んだ。

「綺月、よそ見してると落としちゃうよ?」

「あ、そんなに落ちやすいんだ」

「うん。結構この子繊細だからねえ」

「集中力が試されるのね」

「そうそう、結構きついんだよこれ……、あっ」

 声を上げた紅莉の手元を見ると、すでに花火の火は消えてしまった。

「紅莉ったら早いわ」

「ひぇー、負けちったあ」

 負けたのに楽しそうな紅莉は、水を溜めたバケツに向かって使用済み花火を入れていた。「うう、これ難しいよ」

「そうね……。つい動いちゃうものね」

 そう言った姉さんの火種も地面に吸い込まれていった。

「あっ……。落ちちゃったわ」

「ふふ、じゃあ、私、有澄、綺月の順でお風呂だね」

「ええ、そうね。なんだか、綺月に負けるなんて少し悔しいわ」

 ボクの花火もシューと音を立てて消えていった。

「ボクが一番だ!」

 ガッツポーズを見せると、メイドの二人が「おめでとうございます」と拍手してくれた。

「ねえ、ボクこれもう一回やりたい」

 線香花火を自ら手にしてそう言うと、紅莉も花火を手に取った。

「いいねえ、今度こそ優勝しちゃうぞ?」

 姉さんも「次は負けないわ」と意気込んでいた。

 結果は、紅莉、ボク、姉さんの順に火種を落とした。その後数本残った花火で遊んで、バーベキューは幕を閉じた。

 * * *

「もう、姉さんたらお風呂出るの遅いんだから」

 ボクはぶつぶつと不満を垂れながら洗面所に向かった。

 木の温もりを感じられる浴室は、不思議と落ち着きを感じる。

「あ、MATE来てる」

 ふと目にした通知は皐月さんからだった。

「ごめんなさい! クリスマス、仕事入っちゃいました……。

 本当にごめんなさい! 絶対、必ず埋め合わせします!!

 いつ空いてますか??」

 目の前が揺れる。……あ、どうしてボク、こんなに泣きそうな気分になっているんだろう。

 魂が抜けたような、心ここにあらずの顔が鏡に写った。それが嫌で、払拭するように手早くお風呂を済ませて、ドライヤーで髪の毛を乾かした。

「綺月ー! 皆で映画見ようって話になってるんだけど何がいいー?」

 洗面所の外から紅莉の声がして、意識が現実に戻った。

「……あ、うん。今、行くよ……!」

「んー、りょーかい!」

 紅莉が去っていった音を聞き、ボクは深呼吸をする。

 出来るだけゆっくりリビングスペースに向かうと、姉さんがDVDのパッケージを両手に持っていた。ラブコメアニメ映画と、子供向けアニメの劇場版の二つで悩んでいるようだ。

「あ、綺月。こっちとこっち、どちらの映画が見たい?」

 ボクに気付いた姉さんが、パッケージの表面をこちらに見せる。

「あ、ボクは……、どっちでも」

 精一杯の笑顔を見せたけど、ぎこちなかったみたいで姉さんは不思議そうな顔をした。

「……綺月? 大丈夫?」

「……うん、だいじょぶ、だよ……」

 もう一度笑顔になってみたけど、それがまた逆効果だった。その場にいる全員に心配の目を向けられた。

「元気ないですか……? もしかして、体調悪いですか?」

「えっ! 熱中症とかかな?」

 ルカちゃん、紅莉と、話がどんどん大きくなっていく。二人に続いて姉さん、響さんまでも焦りの表情を見せていた。

「気持ち悪いとかない? 熱はないかしら? 今日暑かったものね……。……響、薬持ってきているわよね?」

「お持ちします……!」

 響さんがリビングスペースを出ていき、ルカちゃんがキッチンへ水を取りに行った。姉さんと紅莉がボクを囲んでソファに寝かせようとしてくる。体調は悪くないのに心配される罪悪感に、ボクは耐えられなくなった。

「あ、あのね!」

 俯いたまま大きな声を出してしまった。皆の顔を見ると正直に言えなくなりそうで、下を向きながらポツリと呟いた。

「……全然、違うんだ。体調は、大丈夫」

 ボクが言葉を選んでいると、薬箱を抱えた響さんが現れた。

「症状言ってくだされば、それにあったお薬を……」

 そこまで言われたところで、ボクは言葉を制した。

「……大丈夫。ごめんね、せっかく持ってきてくれたけど、お薬、要らないかも」

「無理、しないでくださいね……?」

「ホントに、大丈夫です。……あの」

 ボクがゆっくり話し始めると、リビングスペースに沈黙が流れた。

「……あのね、クリスマスデート、なくなっちゃった」

 泣きそうになったのを一生懸命抑えた。皆応援してくれたのに。ボク、皆になんて言って謝ったらいいのか分からない。

「え! どうして……?」

 デートのことを一番に喜んでくれた紅莉がやはり一番に落ち込んでいた。

「クリスマス、皐月さん仕事なんだって……」

 そう言いながらMATEの画面を皆に見せる。画面を覗き込んだ姉さんは「それで元気なかったのね」とボクの頭を優しく撫でた。

「うん、ごめんね……。気遣わせちゃって……」

「全然大丈夫だよ。言ってくれてありがと、綺月」

 ありきたりな謝り方しか出来ないボクを、紅莉はゆっくり抱きしめてくれた。

「売れっ子アイドルですから、仕事なんじゃ仕方ないですけど……。ちゃんと埋め合わせするつもりだあるなら全然脈アリですよ!」

 ルカちゃんもボクを慰めてくれる。響さんも「自信、なくなさないでください」と励ましたくれた。

「なんて返事したらいいかわかんなくて、まだ返信してないんだ」

 皐月さんの文章で終わっている画面を見つめる。「ごめんなさい」という文字を見る度、心がキュッと苦しくなった。

「私たちも一緒に返信の内容考えるわ。そんなに落ち込まないで?」

「うんうん。なーんて返そっかー……」

 姉さんと紅莉が悩む仕草を取った。響さんもアドバイスしようと静かに唸っている。

「んー、こういう場合は余裕を見せたほうがいいみたいですよ」

 スマホの画面とにらめっこしながら、ボクの悩みに対処しようとしてくれている。姉さんが怪訝そうな顔をして、響さんの顔を覗き込んだ。

「……やけに詳しいのね」

「あ、いや、ネットの記事にそう書いてあって……!」

「……そう」

「私はそんな経験ないですので! 安心してください」

 響さんは跪いてソファに座る姉さんの手を取った。洋館のような別荘の内装のおかげで、二人は洋画の中にいるように見える。

「んー、仕事ない日、レイちゃんに聞かないとボクわかんないや」

 もうすぐボクたちはツアーが始まる。レイちゃんにスケジュールの確認を取ることにした。

 寝静まった夜。響さん以外の四人はリビングスペース側の洋室で布団を並べて寝ていた。なんとなく眠れなくて、トイレに起きて通知欄を見てしまった。ボクが既読マークを付けたまま放っておいたのに、皐月さんは重ねてメッセージを送ってきていた。

「ホントにホントにごめんなさい!!」

 皐月さんのメッセージより早い時間にレイちゃんからの返信が来ていた。どうやらボクの予定が空くのは来年以降になりそうだ。

「きっととてもお忙しいですから、全然大丈夫です。

 ボクのスケジュール的に空いてるのが来年になっちゃうんですけど……」

 直ぐに既読マークが付いて、程なくして返信が来た。

「蒼空さんも凄く忙しいよね……、本当にごめんね。

 来年の最初の方にツアーがあるから四月とかになっちゃうかも」

「いえ、全然大丈夫です。

 四月頭とかご予定どうですか?」

 そう送ったのに、今度は直ぐに返信が来なかった。布団に戻って寝ようとしても、返信が来ていないか気になって何度も画面をチェックしてしまう。空が明るくなっていくのを見ながらゆっくり意識を失っていった。

「おはよー……」

「おはよう。綺月、紅莉」

 姉さんと紅莉の声が聞こえる。昨晩のMATEの寝不足が祟って、起きるのが辛い。

 ルカちゃんは随分前に起きて布団まで畳まれていたが、姉さんと紅莉はまだパジャマのままだ。皆でお揃いにして買ったパジャマは、姉さんが紫色、紅莉はピンク色、ボクは青色を基調としたデザインだ。

「朝食のご用意、直ぐに出来ますが、召し上がられますか?」

 響さんの声が扉越しに聞こえる。

「あ、食べますー!」

 紅莉の返事を聞いた響さんは「かしこまりました」と言って去っていった。

 顔を洗って、リビングスペースにあるダイニングテーブルに座る。響さんが運んできてくれた朝食セットに三人で手を合わせた。

「あれ、綺月、隈が酷いわ。ここの布団だと眠れなかったかしら?」

 ナイフとフォークを持った姉さんがボクの顔を見てそう言った。

「あ、全然そんなことないよ。……皐月さんと、ずっとMATEしちゃってて……」

 ボクのメッセージを最後に、皐月さんからの返事はまだ無い。心の奥が少し苦しくて、美味しいはずの朝食も味がしない。

「あらら……。どんな会話をしていたの?」

「スケジュール的に来年しか会えなくなっちゃったから……、その話をしてたの」

「うーん、どる☆ふぇす優勝してから私たち超忙しくなったもんね……。皐月さんも忙しいだろうし」

 三人で「仕方ないね」と頷きあう。

「来年って遠いですよね……。売れっ子って、実際に大変なんですね」

 そう言うルカちゃんなりの慰めも嬉しい。バッサリ言ってくれる感じがボクにとっては有難い。

「でも行けることになったでしょう? なら良かったじゃない」

 姉さんの励ましもあって、ボクは「うん」と少しいつもの元気を取り戻せた気がした。

「デートまでに時間があるってことは可愛くなれる時間がいっぱいあるってことだもん! 可愛くなるお手伝いなら、私張り切ってしちゃうよーっ」

「私たちに出来ることがあったら言ってくださいねっ! いつでも駆けつけますよ」

「私も手伝うわ」

「私も出来る限りのお手伝いをさせていただきます」

 紅莉、ルカちゃん、姉さん、響さん、皆の激励を受け取る。ボクは皆に囲まれて幸せだ。

「皆……。ボク嬉しいよ」

 今度は無理に作った笑顔じゃなくて、心からの笑顔が出てきた気がする。

「楽しみだねえ。春なら可愛い感じのデート服にしちゃおっか!」

「そうね。……響、私がいつも行ってるサロンの予約取っておいてくれる?」

「かしこまりました」

 来年の話なのに洋服とかサロンとか、皆気が早すぎる。

「う、うん……。なんか皆ボクよりテンション上がってない……?」

「皆綺月さんのこと大好きなんですよー」

 ルカちゃんがそう言って笑うから、ボクも戸惑いながら笑えてきてしまう。

「ふふ……。ありがとう、皆」

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